つむじ通信1
つむじ通信1

奇跡が奇跡でなくなる日
気を徹す「つむじの理論」より提言
奇跡とは、「常識では考えられない神秘的な出来事。既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の徴と見なされるもの」と『広辞苑』に出ている。
これから述べる症例は、2001年1月から9月までの入院による闘病記録である。
体のだるさ、冷えを訴え、1996年に膠原病と診断され、ステロイド剤を投与されていた。しかし、症状が悪くなる一方であることを医師に訴えても、無視され続けていた。これは、現代医学のみじめな姿を映している。
彼女は39歳で、2000年1月31日、新潟県新発田市にある、当時私が勤務していた老人養護病院に入院してきた。自分の苦悩をいかにして打破するかを探し求め、自律神経免疫療法に生きる希望を託したのである。

初めに彼女は、私に東京の大学病院での出来事を話した。以下は、当時を振り返った彼女の手記である。
「ステロイドをやめるなんて、ダメ! スローがいいんだから、焦るなよ……(略)。
まだ、大学病院へ通院していた当時、熟考の末、知って日の浅い刺絡療法(自律神経免疫療法の原形となる治療法)へ、進路変更をしようと思っている旨を伝えると、主治医は、いままでステロイドを飲んでいたのに、突然、刺絡療法とやらを言い出すこの患者を、異星人にでも出会ったかのような、解せない様子でぎこちなく見つめていました。この表情からは、反対を伝える言葉以上に、半ば腹立った気持ちを感じ取りました……」(原文)
彼女は25、6歳のとき、外国人の恋人との結婚を両親に反対されたことが原因で、生活が乱れた。その2、3年後に、膠原病と診断されたのである。
「薬を使用していたころを振り返ってみますと、体力のなさ、だるさに加えて、徐々にひどくなる冷えが脅威の一つでした。入浴中、熱めの湯につかっているときでさえ、体は温まらず、冷たく、体の中心にそって重油か何かがこびりついているように重く、鈍い感覚でした。まるで、ドラム缶にでも埋まっている感じでした。
ですから、お風呂から上がって5分もすぎると、夏でも体が冷え始め、普通じゃないことに、いやでも気づくのです……」(原文)
日本や中国の伝統医学では、「冷えは未病である」といわれている。その一方で、冷えに注意を払わない日本の現代医学は、何を考えているのだろうか?
私は、60歳を過ぎてから、「冷えは未病である」という言葉の意味の深さに、ただただ感動しているのである。ステロイド剤、消炎鎮痛剤、抗生物質などは、一時的に効果があっても、長期的には免疫を低下させ、最終的には人間を破滅へと導くこととなる。患者の訴えを無視し、手で触らず、薬を投与してくる。
これは、昔からいわれている「手当て」を無視した医療にほかならない。患者を見て、観て、心で診ることを忘れ、パソコンだけを見る医療に成り下がってしまった。
これは、患者と向き合うことを忘れた、算術医なのである。日本の西洋医学は、破滅への道を突き進むしかない。
さらに彼女は述べる。
「こんな発見をくり返すうちに、素人ながら、ステロイドを飲むことによって奪われてゆく体力を、どうせ使うなら、『体自身が自ら治す』方向に使えないだろうかと思い始めました。貴重な体力を、いってみれば明らかに逆用しているステロイド治療に、しだいに疑問を感じ始めていたのです……」(原文)
そして彼女は、自律神経免疫療法を始めてからも、ステロイドのことでもがき苦しむのである。それは、私に「ステロイド使用をできるだけ早期に中止しろ」と言われたからである。
「どこかで苦しみを伴っても、解決しなければならない。先送りすればするほど、結果としてそれだけ終わりのない苦しみを味わうことになる。だったらいましかないと、すべてをやめる決心をしました。そのときの気持ちは、窮するだけ窮していたので、女らしさとはほど遠い、心境としては勢いに乗った十字軍のようでた。反面、内心びくびくしながら、自分をまな板の上に乗せて、リバウンドが来るのを待ちました……」
(原文)
2000年1月、頭部・井穴刺絡を週3回、入院して行うことになった。この入院は、8ヶ月にも及ぶことになる。治療5ヶ月目ごろより、しだいにリバウンドが出現してきた。
「体の中の天地がひっくり返るような激しさは、苦渋三昧の一語につきますが、自律神経免疫療法によってリバウンドを発動させ、体にとって出せる最大限のエネルギーと引き替えに、長い間蓄積してきた体内の毒と化した薬物を余すことなく、最後の一滴まで集中的に体の外に出し切った時点で、その激しさは、予定していたかのように幕を閉じた……」(原文)
2000年11月、退院し通院治療になる。その後、12月までに計6回、外来に来ている。
病状が回復してからのある日、彼女が過去に経験した出来事を聞いたことがある。それは、リバウンドで高熱状態(39〜40℃)が約1ヶ月続いていたときのことである。
「三途の川の話、知ってる? あたり一面にきれいなお花畑がある。君がこちらに来るように呼ばれても、決して楽しいところ、楽なところには行かないよう、苦しくても戻ってくるように」と私に言われたことを、彼女は意識朦朧としたなかで考え抜くのである。
「病状に負けて死を迎えてしまわないように、患者の無意識下に石を投げかけてくれたのだとわかりました。自分の現在地と、行くべき方向を指し示すフォローをしてくれたことに、先生の細やかさを垣間見た思いでした……」(原文)
これを聞いて、私はテレくさくなった記憶がある。
最後に、これまでの白血球の変化を述べたいが、私は新発田の病院へは院内への立ち入りを禁止されてデータを入手できないため、東京だけのデータを述べる。
| 年月日 | 白血球(/mm3) | 顆粒球 | リンパ球 | リンパ球数 | 単球 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2000年11月11日 | 10,500個 | 88.7% | 8.2% | 861個 | 2.5% |
| 2001年2月 | 7,040個 | 78.8% | 17.3% | 1,218個 | 2.6% |
| 2001年5月 | 3,320個 | 58.8% | 31.9% | 1,059個 | 7.8% |
2001年6月、私は心不全で意識を失い入院。次いで脳梗塞、狭心症で手術を受け、2002年9月にはうつ病で約2年間闘病状態となり、やっとはい上がってきたのである。
彼女の闘病体験は、21世紀を生きる私たちの医療の道標になるといえよう。
2006年12月17日
福田 稔
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